私は理想のキャリアの反面教師:和多田とキャリア(その1)
1人のアマノジャクのストーリー
こんにちは。当サイト運営者の和多田(わただ)です。
私は今ではキャリアコンサルタントとして多くのサラリーマン(志望)の方のコンサルティングを行なっています。
また、このようにサラリーマンのキャリアについてのサイトを運営して情報発信をしています。
でも、正直に言って私自身のキャリアは理想的なものとは程遠いものです。
「人当たりが良い」「温厚で優しい」と言われることが少なくありませんが、その一方でどこかひねくれた「アマノジャク」なところがあると自覚しています。
自分にとって価値の無いと思えることに時間を費やすことが苦痛でならない、極めて自分本位な性格でもあります。
そう、明らかに組織人には向かない性格なのです。
その性格のために、今に至るまでにずいぶんと遠回りしましたし、苦労もしました。
でも、サラリーマンにとっての幸せなキャリアを考察していくために、反面教師的サンプルとしてそんな私のキャリアを振り返ることも意味があると思い、恥ずかしながらこの場を借りて紹介する次第です。
良かったらしばしお付き合い下さい。
バブル期真っ盛りの就職活動
学生時代、私はある国立大の経済学部で企業会計のゼミに属していました。
同じゼミ生は、多くが公認会計士や税理士となったり、大手金融機関に就職していました。
私はと言えば、家庭の事情でバイトに明け暮れる毎日で、単位を揃えるのがやっとの劣等学生でした。
でも、時はまさにバブルの最盛期。
今となっては時代が狂っていたとしか思えない、二度と来ないであろう超売り手市場の世界がそこにありました。
そこそこの大学の学生というだけで、ひどい成績でまともな就職対策もしていない私でも、就職活動に困ることはありませんでした。
(補足しておくと、まじめそうな外面(そとづら)だけは良かったのです…^^;)
自分が何をやりたいのかわからないまま、周囲の同級生の動きに流されながら金融機関をメインに回ると、あっという間に誰もが知る最大手の某金融機関を初めとする複数の内々定が得られたのです。
「今度の面接に来てくれたら内定が出るから」
と言われたわけですね。
大手企業からの内々定に本来なら大喜びしそうなものですが、私は釈然としない思いでいました。
というのは、その時点で第一希望だった某最大手金融機関から、他の企業の面接に行けないよう、事実上の「拘束」を受けたからです。
(学生を「接待」しながら、「見張り役」の大学OB社員が交代で張り付くのです。今からは隔世の感があります…)
また、学歴だけでまともな面接もせずに内々定を出していることも納得のいかない理由の1つでした。
当時の大手企業はどこも似たり寄ったりだったのでしょうが、若かった私は「こんな採用をする企業はまともじゃない」と憤りを感じました。
そんな中、高校生時代に利用した経験があり、ちょっとした好奇心から応募していた通信教育系出版社が、何だかとてもまともな企業に映り、大手金融機関の内々定をすべて蹴って急転直下でその出版社への入社を決めたのでした。
従業員数万名のマンモス企業からわずか100数十名の出版社への心変わりに、親も大学の友人も驚き、呆れていましたね。
この頃から私のアマノジャクぶりは発揮されていたわけです。
出版社で働いていた時には、この時の判断を悔いる気持ちになったこともありましたが、今はその気持ちもなくなりました。
一度は有名企業に就職しても良かったかなとは思いますが、組織人向きではない私は、遅かれ早かれ企業を離れただろうと思うからです。
今の基礎を作った編集者時代
出版社に就職した私は、難関大学・高校受験生用の英語教材を作る編集者になりました。
大学時代に学んだ経済学や会計学が一切役に立たない世界です(苦笑)。
高校時代には比較的得意だったとはいえ、大学時代には中高生の家庭教師のバイトくらいで、ハイレベルな英語に接する機会はほとんどありませんでした。
また、ワープロ(パソコンではありません…^^;)にも一切触れたことがなく、まともに原稿を打つことすらできません。
編集・印刷の専門知識もありませんから、すべてイチから勉強です。
ある程度仕事に慣れた頃からは、本格的に担当教材を持たされることになりました。
不慣れな仕事で細かい締め切りに束縛される毎日は、のんべんだらりとした学生時代の生活になじんだ身には息が詰まり、元々細身の体が一段とやせ細ったものでした。
しかし、自分が書き上げたものが1つの出版物として形になるということ。
また、自分の書いた文章が全国の多くの人に読まれるという経験はそれまで無かったことであり、編集者ならではの感動がありました。
曲がりなりにもこのようにサイトを運営したり、著者として本を出版できるようになったのも、この編集者時代に原稿を練り上げる作業を繰り返した経験がベースになっていることは間違いありません。
その意味では、今の私の原型を作ってくれたのが編集職であると言えるでしょう。
しかし、2年、3年と経験を積み、一通りの仕事を覚えると、来る日も来る日も机にかじりついての同じような仕事の繰り返しに、次第に閉塞感を感じるようになりました。
困った人間ですねぇ(苦笑)。
そして20世紀も終わりに近づく頃、私にとって「激動のアラサー時代」がやって来るのでした。
(長くなってきたので、「その2」に続きます)